令和6年8月19日号

特許ニュース

知財高裁が、「鋼管杭式桟橋」についての特許の無効審決を取り消し、有効であると判断した事例

 発明の名称を「鋼管杭式桟橋」とする発明についての特許(特許第5967862号。請求項の数3。)について、知財高裁は、明細書に発明をそのまま実施した例が記載されていなくても、当時の技術常識により、本件発明は課題を解決できると認識できるものとしてサポート要件の充足を認め、無効審決を取り消した(知財高判令和6年1月23日 (令和5年(行ケ)第10020号、第10021号))。

事案の概要
原告は、本件発明の特許権者である。
被告は、令和3年3月30日、本件発明につき、原告を被請求人として特許無効審判を請求した。
特許庁は、令和5年1月20日、「特許第5967862号の請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とする。特許第5967862号の請求項3に係る発明についての審判請求は、成り立たない。」との審決(以下「本件審決」という。)をした。
原告は、令和5年2月27日、本件審決のうち請求項1及び2に係る発明についての特許を無効とした部分の取消しを求めて第1事件の訴えを提起し、被告は、同年3月1日、本件審決のうち請求項3に係る発明についての本件特許に対する審判請求は成り立たないとした部分の取消しを求めて第2事件の訴えを提起した。
裁判所は、原告の主張を認め、請求項1及び2に係る部分を取り消す一方、被告の請求を棄却した。

本件発明1ないし3


【請求項1】 海底地盤に根入れされた複数の鋼管杭によって構成される鋼管杭列と、該鋼管杭列における海面上に突出した部位に構築される上部工とで構成される鋼管杭式桟橋において、前記鋼管杭列を構成する鋼管杭の一部であって、外力に対して鋼管杭に生じる曲率が大きい少なくとも陸側に対面して配置された鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分を、前記鋼管杭の直径Dと前記鋼管杭の全塑性モーメントに対応する曲率φpが、φp≧4.39×10-3/Dという関係を満足するものとし、 前記鋼管杭の地中部の他の部分は前記部分よりも変形性能が低いものとしたことを特徴とする鋼管杭式桟橋。
【請求項2】 φp≧4.90×10-3/Dを満足することを特徴とする請求項1記載の鋼管杭式桟橋。
【請求項3】 φp≧5.65×10-3/Dを満足することを特徴とする請求項1記載の鋼管杭式桟橋。


本件発明の課題・解決手段

耐震強化施設に該当する鋼管杭式桟橋では、港湾の施設の技術上の基準・同解説(以下「港湾基準」という。)により、 「当該桟橋を構成する杭の中に、二箇所以上で全塑性に達している杭が存在しないこと」(以下「杭の全塑性の要求性能」という。)を満足する必要がある。
ここで、全塑性に達している杭とは、杭に生じる曲げモーメントが全塑性モーメントに達している杭をいう。
レベル2地震動が大きな地点では、岸壁法線の変形等の要求性能を満足できても、杭の全塑性の要求性能を満足できない場合がある。
このような場合、鋼管杭の板厚を厚くし、又は鋼管杭の径を大きくすることが考えられるが、全塑性モーメントに対応する曲率への影響は軽微あるいは逆効果であり、仮にこれらにより杭の全塑性の要求性能を満足できるとしても、使用鋼材の重量が増加するため、建設コストの増加につながるという課題がある。
本件各発明は、上記課題について、鋼管杭の局所的な変形性能を上げることにより解決を図るものであり、鋼管杭式桟橋を構成する鋼管杭列の一部であり、少なくとも陸側に対面して配置された鋼管杭の「地中部における発生曲率が大きい部分」の変形性能を高め、他方で、鋼管杭の「地中部の他の部分」は前記部分よりも変形性能が低いものとした。


※鋼管杭の変形性能の指標として、全塑性モーメント(Mp)に対応する曲率φp(単位は1/m)を用いる(以下「全塑性モーメントに対応する曲率」を単に「曲率φp」という。)。
これはMpを曲げ剛性EI(Eは杭の 鋼材のヤング率、Iは杭の断面2次モーメント)で除して算定できる(φp=Mp /EI)。
また、φp=2εp/Dであるところ(εpは杭が全塑性状態に達した場合の鋼管杭の外縁の最大ひずみ、Dは鋼管杭の直径)、一般的な鋼管杭であるSKK490の曲率φpは(3.94~3.98)×10-3/D程度である。
本件判決での争点は、進歩性、サポート要件、明確性要件及び実施可能要件についての各認定判断の誤りの有無であるが、本件審決と本件判決で異なる結論を取ったのは、サポート要件のみであることから、サポート要件について、以下詳述する。

サポート要件
本件審決
特許庁が出した審決では、まず、本件発明3について

本件発明3は、【0037】に「実施の形態3」として記載されたものである。

 としてサポート要件の充足を認めた。
一方で、本件発明1については、

ここで、【0020】~【0032】には、「実施の形態1」として「曲率φpが、φp≧4.39×10-3/Dという関係を満足するもの」が記載されているが、【0037】には、「実施の形態1、実施の形態2では、鋼管杭式桟橋を構成する鋼管杭は、すべて同一の直径、板厚、変形性能のものを用いることを前提として検討してきた。これに対して実施の形態3では、曲率が大きくなる部分にだけ、変形性能が優れる鋼管杭を用いた例を説明する。」と記載されていることからすると、「実施の形態1」は、「外力に対して鋼管杭に生じる曲率が大きい少なくとも陸側に対面して配置された鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分」を前記「曲率φp」の条件を満たし、「前記鋼管杭の地中部の他の部分は前記部分よりも変形性能が低いものと」することについて記載したものとはいえない。そして、「実施の形態3」は、曲率の条件に関して「φp≧5.65×10-3/Dを満足する」実施例が記載されているのみであり、その条件を他のものにすることについて記載も示唆もなく、技術常識ともいえない。

として、

出願時の技術常識に照らしても、本件発明1の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえないから、本件発明1は、発明の詳細に記載されたものではない。

と、本件発明1をそのまま実施した例の記載がないことを理由に、本件発明1のサポート要件を否定した。本件発明2についても、数値を変えただけで同様の判断をしている。
本件判決
これに対して本判決はまず、

特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであるか否かは、 特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。

とサポート要件の判断基準を示した。
以下、各請求項に記載された「4.39×10-3/D」、「4.90×10-3/D」、 「5.65×10-3/D」の各値を順に「φp1」、「φp2」、「φp3」とする。

実施の形態1においては、

当初、鋼管杭としてSKK490材(直径900mm、 板厚14mm、曲率φp=3.95×10-3/D)を用いた鋼管杭式桟橋(以下、この鋼管杭の断面を「初期断面」という。)に対し、所定の地盤定数を用いて、レベル2地震動に対する地震応答解析を行ったところ、地中部で局所的に鋼管杭の変形性能が不足し、杭の全塑性の要求性能を満足しなかった。その結果は次の【図2】 のとおりである。なお、図上部の左向き矢印上の数値は残留水平変位を指し、〇印が付されている箇所は、発生曲率φが曲率φpを上回った箇所、すなわち全塑性に達した箇所を示している。(【0021】~【0023】、【図1】、【図2】) そこで、鋼管杭の変形性能を向上させた鋼管杭(具体的には、曲率φpをφp1、 すなわち4.39×10-3/Dとしたもの。直径Dが0.9mであるから4.88×10-3となる。)を用いて同様の地震応答解析を行ったところ、地中部で曲率φpを越える曲率は発生せず(地中部の発生曲率は4.82×10-3)、杭の全塑性の要求性能を満足することができた。その結果は次の【図7】のとおりである。 (【0030】、【0031】、【図7】)

実施の形態2では、

初期断面に対し、レベル2地震動の最大加速度を7.5%大きくして地震応答解析を行ったところ、地中部で局所的に鋼管杭の変形性能が不足し、杭の全塑性の要求性能を満足しなかった。その結果は次の【図8】のとおりである。(【0033】、【図8】) そこで、鋼管杭の変形性能を向上させた鋼管杭(具体的には、曲率φpをφp2、すなわち4.90×10-3/Dとしたもの。直径Dが0.9mであるから5.44×10となる。)を用いて同様の地震応答解析を行ったところ、地中部で曲率φpを越える曲率は発生せず(地中部の発生曲率は5.36×10-3)、杭の全塑性の要求性能をほぼ満足することができた。その結果は次の【図11】のとおりである。 (【0035】、【図11】)
また、鋼管杭の変形性能を更に向上させた鋼管杭(具体的には、曲率φpをφp3、すなわち5.65×10-3/Dとしたもの。直径Dが0.9mであるから6. 28×10-3となる。)を用いて同様の地震応答解析を行ったところ、地中部で曲率φpを越える曲率は発生せず、杭の全塑性の要求性能を完全に満足することができた。その結果は次の【図12】のとおりである。(【0036】、【図12】)

実施の形態3について、

実施の形態1及び2では、鋼管杭式桟橋を構成する鋼管杭は、全て同一の直径、 板厚、変形性能のものを用いることを前提として検討してきたが、実施の形態3では、発生曲率が大きくなる部分にだけ、変形性能が優れる鋼管杭を用いた。すなわち、実施の形態2における初期断面(【図8】)のうち、地中部における発生曲率が大きい部分に変形性能が優れる鋼管杭(具体的には、曲率φpをφp3、すなわち5.65×10-3/Dとしたもの。直径Dが0.9mであるから6.28×10-3となる。)を用いて同様の地震応答解析を行ったところ、残留水平変位は初期断面と変わらないものの、地中部で曲率φpを越える曲率は発生せず、杭の全塑性の要求性能を満足することができた。その結果は次の【図13】のとおりである。(【0037】、【図8】、【図13】)


技術常識

一般的な構造材料において、塑性域に達するまでの弾性範囲内においては、一軸方向の応力とひずみとの間には比例関係が成り立ち(フックの法則)、その比例定数をヤング係数と呼ぶこと、構造物に一般的に用いられる構造用鋼(軟鋼)のヤング係数の値はどの鋼種でもほぼ一定値(2.1× 106kgf/cm2。なお、同数値は本件明細書の【0003】、【0011】にあるSKK490材のヤング率として記載されている108kPaに近似している。) であることが認められ、このことは、当業者にとって技術常識であったと認められる。
…鋼管杭を用いた直杭式桟橋の性能照査に際し、弾塑性法による解析は、鋼管杭に生じる軸力及び曲げモーメントに応じて杭の曲げ剛性を低下させて解析を行うところ、鋼管杭の曲げモーメントと曲率の関係は、…全塑性モーメントを上限値とするトリリニアモデルを用いるが、一般的な諸元の桟橋では、トリリニアモデルに代えて、より計算が簡単なバイリニアモデルを用いても計算結果に差があまり見られないので、バイリニアモデルを用いてもよいとされていることが認められ、このことは、当業者にとって技術常識であったと認められる。

当業者にとって、当時、フックの法則が成り立つことや構造用鋼のヤング係数が一定値であること、また鋼管杭の曲げモーメントと曲率の関係にはバイリニアモデルを用いてもよいとされていることが、技術常識であったことを示した。

まず、本件発明3について

本件発明3は、鋼管杭式桟橋において、鋼管杭のうち少なくとも陸側に対面して配置された鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分の変形性能につき、「曲率φp≧φp3」という関係を満足するものとし、地中部の他の部分は前記部分よりも変形性能を低いものとしたものであるところ、実施の形態3に関する上記本件明細書の記載【0037】、【図8】、【図13】には、初期断面に対する地震応答解析の結果として局所的に鋼管杭の変形性能が不足していた部分付近のみの変形性能を「曲率φp=φp3」として、それ以外の部分を初期断面と同様の変形性能とした場合に、杭の全塑性の要求性能を満足したことが示されている。この場合において、曲率φpをφp3より大きいものとした場合(「曲率φp>φp3」とした場合) にも杭の全塑性の要求性能を満足することは自明であるし、地中部の他の部分の鋼管杭の変形性能を低くすることにより、建設コストの増加との課題を解決することができることも明らかである。

と本件審決と同様の結論を示している。

次に、本件発明2について

本件発明1及び2、すなわち、鋼管杭式桟橋において、鋼管杭のうち少なくとも 陸側に対面して配置された鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分の変形性能につき、「曲率φp≧φp1」(本件発明1)又は「曲率φp≧φp2」(本件発明2)という関係を満足するものとし、地中部の他の部分は前記部分よりも変形性能を低いものとしたものについて、本件明細書には、これをそのまま実施した実施例は記載されていない。
もっとも、本件明細書は、バイリニアモデルを前提とした地震応答解析により、杭の全塑性の要求性能を満足させられるかを照査しているところ、バイリニアモデルでは、塑性域に達するまでの弾性範囲内では、応力とひずみとの間にはヤング係数を定数とする比例関係が成り立ち(フックの法則)、構造物に一般的に用いられる構造用鋼(軟鋼)のヤング係数の値はどの鋼種でもほぼ一定値であるとの技術常識を踏まえると、本件明細書に記載された実施の形態における鋼管杭に発生する曲率は、初期断面や実施の形態2のように鋼管杭の全部の変形性能を同じものとしても、 実施の形態3のように地中部の一部のみの変形性能を高めたものとしても、ほぼ同じ結果が得られるであろうことが理解できる。

と示し、

このことは、本件明細書に記載された初期断面(【図8】)において、鋼管杭の地上部への発生曲率が海側から順に「4.37×10-2」「3.37×10-2」「2.33×10-2」であるのに対し、実施の形態3(【図13】)における変形性能を高めていない鋼管杭の地上部への発生曲率が海側から順に「4.38×10-2」「3.41×10-2」「2.34×10-2」とほぼ一致していることや、逆に、実施の形態2及び3において、変形性能を高めたために弾性範囲内であった地中部の鋼管杭への発生曲率が「5.36×10-3」(【図 11】)、「5.37×10-3」(【図12】)及び「5.35×10-3」(【図13】)とほぼ一致していることからも裏付けられる。
そうすると、本件明細書の実施の形態2及び3に関する上記記載に接した当業者は、上記技術常識に照らし、鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分の変形性能を「曲率φp≧φp2」という関係を満足するものとしても、杭の全塑性の要求性能を満足しつつ、地中部の他の部分の鋼管杭の変形性能を低くすることにより、 建設コストの増加との課題を解決することができることを認識できるというべきで ある。


と具体的に、本件明細書の図から、本件発明2でも本件発明の課題が解決できることが理解できることを示し、サポート要件を認めた。
また、

実施の形態1についても、実施の形態2とはレベル2地震動の最大加速度の条件が異なっているにすぎず、開示されている技術的思想において実施の形態2と異なるところはないから、本件明細書の記載に接した当業者は、技術常識に照らし、鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分の変形性能を「曲率φp≧φp1」という関係を満足するものとした場合であっても、発明の課題を解決できると 認識できるものと認められるとした。
               
本件発明1についても、同様の結論を示した。
検討
本件審決は、本件発明1及び本件発明2について、そのまま「外力に対して鋼管杭に生じる曲率が大きい少なくとも陸側に対面して配置された鋼管杭の地中部における発生曲率が大きい部分」をそれぞれの発明の曲率φpの条件を満たし、「前記鋼管杭の地中部の他の部分は前記部分よりも変形性能が低いものと」することについて実施例に記載したものとはいえないとして、発明をそのまま実施した実施例が明細書に記載されていないことから、サポート要件の充足を否定した。
それに対して、本件判決は、バイリニアモデルにおける弾性範囲内ではフックの法則が成り立つこと、ヤング係数の値はどの鋼種でもほぼ一定値であること、及び明細書の図から、本件明細書に記載された実施の形態における鋼管杭に発生する曲率は、初期断面や実施の形態2のように鋼管杭の全部の変形性能を同じものとしても、実施の形態3のように地中部の一部のみの変形性能を高めたものとしても、ほぼ同じ結果が得られるであろうことが理解できるとして、サポート要件を認めた。
本件判決は、平成17年11月11日(偏光フィルム事件大合議判決)で確立されたサポート要件の判断基準を明示し、明細書に発明をそのまま実施した例が記載されていなくても、技術常識と併せれば発明の効果が発揮されるものと当業者が理解できるとし、サポート要件の充足を認めた判決である。
同様に、実施例にクレームの構成要件がすべて記載されていなくても、技術常識から課題が解決できるとしサポート要件の充足が認められるとした近年の判例として、令和3年11月29日(知財高裁令和2年(ネ)第10029号)がある。
また、令和2年7月2日(平成30年(行ケ)第10159、10153号)では、サポート要件を充足するには厳密な科学的証明に達する程度の記載までは不要であるとした。
これら近年の判例から、実施例の記載が十分でなくても、明示した課題を解決できるとの合理的な期待が得られるような記載(何らかの実験データやメカニズムなど)が明細書の発明の詳細な説明に開示されていれば、サポート要件が充足されるということができる。
ただし、どの程度の記載であれば「合理的な期待が得られる」といえるかは明確に判示されていないことから、今後の判例の蓄積が待たれる。
 
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文責: 古橋 和可菜 弁護士