令和6年4月2日号

特許ニュース

「除くクレーム」への訂正を認めなかった審決を、知財高裁が取り消した事例

 発明の名称を「2,3-ジクロロ-1,1,1-トリフルオロプロパン、2-クロロ-1,1,1-トリフルオロプロペン、2-クロロ-1,1,1,2-テトラフルオロプロパンまたは2,3,3,3-テトラフルオロプロペンを含む組成物」とする特許(特許第6585232号)について、知財高裁は、除くクレームとする訂正において「先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない」などと指摘した上で、訂正を認めなかった審決を取り消した(知財高判令和5年10月5日(令和4年(行ケ)第10125号))。

事実関係

1 特許の内容等
 本発明は、冷蔵庫、空調、ヒートポンプ等に使用される、低地球温暖化係数の冷媒化合物を含む組成物に関する。
 特許権者は、ザ ケマーズ カンパニー エフシ ー リミテッド ライアビリティ カンパニーである。

 訂正前の請求項1は、
 「HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物。」
 というものである。
 請求項2から7は、いずれも、請求項1へ従属する請求項であるため、省略する。

 なお、本記事で出てくるフロン類には独特の命名法が存在するので、参考までに本件発明に即した若干の説明を行うこととしたい。
 まず、「HFO」というのは、水素、フッ素、オレフィンを指し、つまりは、ハイドロフルオロオレフィンの略であり、「HFC」というのは、水素、フッ素、炭素を指し、つまりは「ハイドロフルオロカーボン」の略である。
 ローマ字に続く「1234」等の数字の表記は、炭素、水素、フッ素、塩素の数、及び炭素―炭素間の二重結合の数を特定するものである。たとえば、もし、「1234」との記載があるのであれば、二重結合は1つ、炭素原子が3個(※3から1を減じた「2」で表記している)、水素原子が2個(※2に1を加えた「3」で表記している)、フッ素原子が4個(そのものの数を表記している)ということになる。
 そして、末尾の「yf」「eb」等は、構造異性体を特定するものであり、「yf」であれば、「y」であることから真ん中の炭素に結合する手が「-CF=」であることが特定され、「f」であることから二重結合の炭素に結合する手が「CH2=」であることが特定される。
 よって、たとえばHFO-1234yfは、CFCF=CHを意味することになる。

2 無効審判
 本件特許に対し、AGC株式会社(無効審判請求人)は、明確性要件違反、サポート要件違反、新規性欠如、進歩性欠如を理由として、無効審判を請求した。

 審判段階で、特許庁は、甲4(WO2007/086972)に戻づく新規性欠如および進歩性欠如に係る審決予告をした。

(審決予告の抜粋)

(2)甲4に記載された発明(甲4発明)
甲4の実施例2(上記(1)ウ)におけるコールドトラップ内に回収した揮発性物質(44g)として、甲4には、次のものが記載されていると認められる。
「CFCF=CH(HFC-1234yf)(10%)、CFCFCH(20%)、CFCFHCH(48%)、HCFC-225cb(20%)を含む揮発性物質」(以下「甲4発明」という。)

(3)対比・判断
ア 本件発明1について
本件発明1と甲4発明とを対比する。
甲4発明の「揮発性物質」、「CFCF=CH2(HFC-1234yf)」、「CFCFCH」及び「CFCFHCH」は、それぞれ、本件発明1の「組成物」、「HFO-1234yf」、「HFC-254eb」及び「HFC-245cb」にそれぞれ相当することは明らかである。
 そうすると、本件発明1と甲4発明とに差異はなく、本件発明1は甲4に記載された発明である。
・・・
本件発明1は甲4発明であり、本件発明2~7は甲4発明であるか、甲4発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであり、上記無効理由3には理由がある。


 そこで、特許権者は以下のとおりの訂正請求を行った。
 訂正後の請求項1は、
「HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物(HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く)。」
 というものである。

3 本件審決
 特許庁は、以下のとおり訂正は新規事項追加であるとして訂正請求を認めず、上記甲4発明に基づく新規性・進歩性欠如を理由に、「特許第6585232号の請求項1ないし7に係る発明についての特許を無効とする」と審決(以下「本件審決」という。)した。

 (※なお、本件審決に先立ち、合議体は上記訂正に対して「本件訂正は、拒絶すべきものである」との訂正拒絶理由通知を打っており、これに対して特許権者側から意見書が出されているものの、訂正拒絶理由通知と本件審決とにおいて訂正を認めないとする理由はほぼ同じである。)

(本件審決の抜粋:ただし、筆者が強調を付加した)
 ・・・本件明細書等には、「HFO-1234yf」、「HFC-254eb」及び「HFC-245cb」の全てを含む組成物が、その他の多数の組成物と特段区別されることなく一体となって記載されているだけである。
 また、本件明細書等には、「HFO-1234yf」、「HFC-254eb」及び「HFC-245cb」を同時に含む組成物については、裏付けをもって実質的に記載されているとは認められない。
 本件訂正のような、いわゆる「除くクレーム」に数値範囲の限定を伴う訂正が新規事項を追加しないものであるというためには、「除く」対象が存在すること、すなわち、訂正前の請求項1に係る発明(以下「本件発明1」という。以下、請求項の数に応じてそれぞれ「本件発明1」、「本件発明2」などといい、本件発明1から本件発明7までを併せて「本件発明」という。)において、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているといえるか、または、「除く対象」が存在しないとしても、訂正後の請求項1に係る発明(以下「本件訂正発明1」という。)には、「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれることが明示されることになるから、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているといえる必要があると解される。
 しかしながら、訂正前の請求項1には、HCFC-225cbについての規定はなく、請求項1を引用する請求項2~7においても、HCFC-225cbについての規定はないし、本件明細書等にも、HCFC-225cbについての記載を見いだすことはできず、本件発明1に「HCFC-225cb」が含まれているかどうかは判然としない。さらに、本件明細書等に記載されたいずれかの反応生成物にHCFC-225cbが含有されるものであるという技術常識も存在しない
 ましてや、本件明細書等には、HCFC-225cbについての記載がないのであるから、その含有量については不明としかいうほかない。すなわち、本件発明1が「HCFC-225cb」を含むことは想定されていないというべきである。
 そうすると、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているということはできないし、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているということもできない。
ウ 以上のとおり、訂正事項1は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導入するものであって、新規事項を追加するものに該当し、特許法134条の2第9項において準用する同法126条5項の規定に違反する。


4 審決取消訴訟
 本件審決を不服とした特許権者は、本件審決の取り消しを求め、審決取消訴訟を提起した。
 知財高裁は、以下のとおり、上記訂正が新規事項の追加には該当しないとし、本件審決を取り消した。
3 本件訂正の適否
(1)・・・(略)・・・

(2) 本件訂正は、本件特許に係る特許無効審判の被請求人である原告が、甲4発明による新規性・進歩性欠如の無効理由がある旨の審決の予告(甲50。特許法164条の2第1項)を受けて請求したものである(甲52。同法134条の2第1項本文)。

(3) 特許請求の範囲等の訂正は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてしなければならないところ(特許法134条の2第9項、126条5項)、これは、出願当初から発明の開示が十分に行われるようにして、迅速な権利付与を担保するとともに、出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにしたものと解され、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項(以下、単に「当初技術的事項」という。)を意味すると解するのが相当であり、訂正が、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。

 続いて、知財高裁は本件訂正が明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内かを以下のように検討している。
(4) 本件についてみると、次のとおり、本件訂正は、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」されたものと認められる。

ア(ア) 本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、「HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物。」というものであって、その文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含むことは明らかであり、文言上、これらの化合物を含む限り、それ以外のいかなる物質を含む組成物も当該特許請求の範囲に含まれ得るものと解される。
(イ) 本件明細書等には、「出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。」(【0003】)、「本発明によれば、HFO-1234yfと、・・・HFC-245cb・・・からなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物とを含む組成物が提供される。組成物は、少なくとも1つの追加の化合物の約1重量パーセント未満を含有する。」(【0004】)、「一実施形態において、HFO-1234yfを含む組成物中の追加の化合物の合計量は、ゼロ重量パーセントを超え、1重量パーセント未満までの範囲である。(【0012】)との記載があり、これらの記載からすると、本件明細書等には、①HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること及び②HFO-1234yfを含む組成物中の追加の化合物の合計量がゼロ重量パーセントを超え、1重量パーセント未満までの範囲であることが記載されているといえる。
 また、本件明細書等の【0013】、【0016】、【0019】、【0022】、【0030】、【図1】の記載を総合すると、本件明細書等には、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、HCFC-244bb)に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されているといえる。

イ 前記アの各記載を踏まえると、本件における当初技術的事項の内容は、HFO-1234yfを調製するに当たり、副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、HCFC-244bb)に含まれる不純物が追加の化合物として少量存在し得ること、及び、本件発明1については、追加の化合物として、少なくとも、HFC-254ebとHFC-245cbが含まれることであると認められる。
 他方、本件明細書等には、HFO-1234yfを調製する過程において、HFC-254eb及びHFC-245cb並びにその余の化合物が含まれる組成物についての記載はあるものの(【表6】表5、【表7】表6)、HCFC-225cbに係る記載はなく、また、本件明細書等の記載から、HFO-1234yfを調製する過程においてHCFC-225cbが副生成物として生じたり、HFO-1234yf又はその原料にHCFC-225cbが不純物として含まれたりするなどして、組成物にHCFC-225cbが含まれることが当業者にとって自明であると認めることはできないから、当業者は、本件明細書等のすべての記載を総合することによっても、本件発明1にHCFC-225cbが含まれるとの技術的事項を導くことはできない。

ウ そして、本件訂正発明1は「HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物(HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く)。」というものであって、本件訂正によって、本件発明1から、HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物が除外されたものであるが、前記イに照らせば、本件訂正により、本件明細書等に記載された本件発明1に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているとはいえないから、本件訂正は、本件明細書等に開示された技術的事項に新たな技術的事項を付加したものではない。


 その上で、知財高裁は、審決の判断の誤りがどこにあるのか、についても以下のとおり言及している。
エ 本件審決は、いわゆる「除くクレーム」に数値範囲の限定を伴う訂正が新規事項を追加しないものであるというためには、「除く」対象が存在すること、すなわち、本件発明1において、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているといえるか、または、「除く」対象が存在しないとしても、本件訂正発明1に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれることが明示されることになるから、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているといえる必要があると解した上、本件では、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」が含まれているということはできないし、本件発明1に「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」が含まれているということもできないから、本件訂正は新たな技術的事項を導入するものであると判断した。
そこで検討するに、前記イの通り、本件明細書等にはHCFC-225cbに係る記載は全くないものの、前記ア(ア)のとおり、本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、その文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含む限り、それ以外のいかなる物質をも含み得る組成物を意味するものと解されるものである。そして、本件訂正により、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物を除く」と特定されたことをもって、本件訂正発明1には、HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物が含まれないことが明示されたということはできるものの、本件訂正発明1が、HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物であることが明示されたということはできない。

オ したがって、本件訂正は、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものというべきである。

さらに、被告側が、除くクレームでの訂正は、引用発明と同じ部分を除く訂正でなければならない旨を主張していた点について、知財高裁は、除くクレームでの訂正において同一である部分のみを除外するということが要件とされるものではない旨、指摘した。
(5) 被告は、本件訂正は、甲4発明と同一である部分を除外する訂正とはいえず、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていないから認められないと主張する。
 しかしながら、特許法134条の2第1項に基づき特許請求の範囲を訂正するときは、願書に添付した明細書、特許請求の範囲または図面に記載した事項の範囲内でしなければならず、実質上、特許請求の範囲を拡張し、変更するものであってはならないとされている(同条9項、同法126条5項及び6項)が、それ以上に先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない。そして、訂正が、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」行われた場合、すなわち、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正によって第三者に不測の損害をおよぼすとは考え難いから、同項に規定する訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではないというべきである。
また、被告は、除くクレームの形式で自由に訂正発明の内容を規定することは許されない旨主張しているところ、本件訂正は、前記(2)のとおり、甲4による新規性欠如及び進歩性欠如の無効理由がある旨の審決の予告を受けてされた訂正であるが、前記2のとおり、甲4には、甲4発明が記載されているのみならず、「HCFC-225cbを含むハロカーボン混合物から、・・ヒドロフルオロカーボンを直接的に調製する有利な方法に関する。・・この方法は相当量の該HCFC-225cbを他の化合物へ転化することなく行われる。」(【0012】)、「本発明による好ましい混合物とは、化合物HCFC-225cbを含む混合物である。他の好ましい態様において、混合物は本質的に約1~約99重量パーセントのHCFC-225cb・・とから成る」(【0015】)との記載があり、同各記載を踏まえると、本件訂正は、甲4に記載された発明と実質的に同一であると評価される蓋然性がある部分を除外しようとするものといえるから、本件訂正は先行技術である甲4に記載された発明とは無関係に、自由に訂正発明の内容を規定するものとはいえない。


検討
 審決は、訂正によって、あたかも「HCFC-225cbを1重量%未満で含有する組成物」であることが新たに発明特定事項として規定されたかのように考えて訂正を認めなかった。しかし、本判決も指摘するように、訂正前の請求項1については、そのクレームの文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含む限り、それ以外のいかなる物質をも含んでも良いはずのものであり、訂正は、そのような範囲から、「HCFC-225cbを1重量%以上で含有する組成物」を除くことを規定したに過ぎない。審決が訂正を認めなかったのは明らかな誤りであったと思われる。
 近時、除くクレームでの訂正を緩やかに許容する判決が散見されており、化学系のみならず様々な分野において、一層、除くクレームへの期待が高まっている。
 そのような観点から、本判決が「実質上、特許請求の範囲を拡張し、変更するものであってはならないとされている・・・が、それ以上に先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない。」と明言した点は注目に値する。

 なお、除くクレームでの訂正に関する先例としてはソルダーレジスト事件(知財高判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号))がある。ソルダーレジスト事件判決は、除くクレームの場合に「補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって、当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない」とまで判示している。

(ソルダーレジスト事件判決の抜粋:筆者において一部を太字とした)
 「明細書又は図面に記載した事項」とは、技術的思想の高度の創作である発明について、特許権による独占を得る前提として、第三者に対して開示されるものであるから、ここでいう「事項」とは明細書又は図面によって開示された発明に関する技術的事項であることが前提となるところ「明細書又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり、補正が、このようにして導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項を導入しないものであるときは当該補正は「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
 そして、同法134条2項ただし書における同様の文言についても、同様に解するべきであり、訂正が、当業者によって、明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
 もっとも明細書又は図面に記載された事項は、通常、当該明細書又は図面によって開示された技術的思想に関するものであるから、例えば、特許請求の範囲の減縮を目的として、特許請求の範囲に限定を付加する訂正を行う場合において、付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や、その記載から自明である事項である場合には、そのような訂正は、特段の事情のない限り、新たな技術的事項を導入しないものであると認められ、「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり、実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。
 ところで、・・・平成6年改正前・・・の特許法29条の2は、特許出願に係る発明が・・・先願発明・・・と同一であるときは、その発明については特許を受けることができない旨定めているところ、同法同条に該当することを理由として、・・・改正前の特許法123条1項1号に基づいて特許が無効とされることを回避するために、無効審判の被請求人が、特許請求の範囲の記載について「ただし、…を除く。」などの消極的表現(いわゆる「除くクレーム」)によって特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正を請求する場合がある。
 このような場合、特許権者は、特許出願時において先願発明の存在を認識していないから、当該特許出願に係る明細書又は図面には先願発明についての具体的な記載が存在しないのが通常であるが、明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても、平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく、このような訂正も、明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し、新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。
・・・略・・・
 すなわち「除くクレーム」とする補正のように補正事項が消極的な記載となっている場合においても、補正事項が明細書等に記載された事項であるときは、積極的な記載を補正事項とする場合と同様に、特段の事情のない限り、新たな技術的事項を導入するものではないということができるが、逆に、補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって、当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない。


 ところで、本判決と同日付けで、本判決で問題になった特許第6585232号の子出願である特許6752438号(以下「別件特許」という。)に係る審決取消訴訟判決(令和4年(行ケ)第10126号。以下「別件審決取消訴訟判決」という。)と、別件特許に係る侵害訴訟控訴審判決(令和4年(ネ)第10094号。以下「別件侵害訴訟判決」という。)も同じ知財高裁2部から出ている。
 この別件侵害訴訟判決も非常に面白いので、本稿で若干だけ取り上げたい。
 別件侵害訴訟判決の原告は特許権者であり、被告はAGC株式会社である。

 別件特許の請求項1に記載の発明は、以下のとおりである。
「HFO-1234yfと、HFC-143a、および、HFC-254eb、を含む組成物であって、
 HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、
 HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物。」

 別件特許に基づく侵害訴訟において原審は無効論により請求を棄却しており、別件侵害訴訟判決も、以下のように述べ、上記クレームがサポート要件違反であるとしている。確かに、明細書を読む限り、「HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する」という部分は、なかなか厳しい印象を受ける。
第3 当裁判所の判断
 当裁判所は、本件発明に係る特許請求の範囲の記載には、分割出願が適法であるか否かにかかわらず、サポート要件違反があり、本件訂正が有効であったとしても、サポート要件違反があることが認められるから、結局、本件特許は特許法36条6項1号違反により無効にされるべきものであり、同法104条の3第1項により、原告は被告に対し、本件特許権を行使することはできないと判断する。その理由は、以下のとおりである。
・・・(略)・・・
2 争点2-2(サポート要件違反を無効理由とする無効の抗弁の成否)について
 (1)特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決することができると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決することができると認識することができる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
 (2)本件についてみると、本件明細書(以下、原出願当初明細書も同じ。)には、「発明が解決しようとする課題」として、「出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。」(【0003】)との記載がある。また、「本発明によれば、HFO-1234yfと、・・・からなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物とを含む組成物が提供される。組成物は、少なくとも1つの追加の化合物の約1重量パーセント未満を含有する。」(【0004】)、「HFO-1234yfには、いくつかある用途の中で特に、冷蔵、熱伝達流体、エアロゾル噴霧剤、発泡膨張剤としての用途が示唆されてきた。また、HFO-1234yfは・・・に記録されているとおり、低地球温暖化係数(GWP)を有することも分かっており有利である。このように、HFO-1234yfは、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補である。」(【0010】)といった記載に、・・・の記載を総合すると、本件明細書には、HFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有することが知られており、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であること、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、HCFC-244bb)に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されているということができる。
 しかるところ、HFO-1234yfは、原出願日前において、既に低地球温暖化係数(GWP)を有する化合物として有用であることが知られていたことは、【0010】の記載自体からも明らかである。したがって、HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。しかし、本件明細書には、これらの点について何ら記載がなく、その余の記載をみても、本件明細書には、本件発明が解決しようとした課題をうかがわせる部分はない。本件明細書には、「技術分野」として、「本開示内容は、熱伝達組成物、エアロゾル噴霧剤、発泡剤、ブロー剤、溶媒・・・として有用な組成物の分野に関する。特に、本開示内容は、・・・HFO-1234yf・・・を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物に関する。」(【0001】)との記載があるが、同記載は、本件発明が属する技術分野の説明にすぎないから、この記載から本件発明が解決しようとする課題を理解することはできない。
 そうすると、本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。
 (3)仮に、上記【0001】の記載をもって本件発明の課題を説明したものと理解したとしても、次に述べるとおり、本件明細書の記載をもって、当業者が当該課題を解決することができると認識することができるとは認められない。
 すなわち、この場合の本件発明の課題は、「・・・HFO-1234yf・・・を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物を提供すること」と理解されることとなるはずである。
 そして、本件発明は、①HFO-1234yf、②0.2重量パーセント以下のHFC-143a、③1.9重量パーセント以下のHFC-254ebを含む組成物によって、当該課題を解決するものということになる。
 しかるところ、本件明細書には、上記①~③を含む組成物についての記載がされているとはいえない。すなわち・・・しかしながら、表5(【表6】)に記載された組成物には「未知」のものが含まれており、その分子量を知ることができないから、同表において、モルパーセントの単位をもって記載されたHFC-143a及びHFC-254ebの含有量を、重量パーセントの含有量へと換算することはできない。
・・・(略)・・・
 本件明細書には、上記①~③の構成を有する組成物についての記載がされていないというほかない。それのみならず、本件明細書には、このような構成を有する組成物が、HFO-1234yfの前記有用性にとどまらず、いかなる意味において「有用」な組成物になるのか、という点について何ら記載されておらず、示唆した部分もない。したがって、当業者が、本件明細書の記載から、上記①~③の構成を有する組成物が、熱伝達組成物として「有用な」組成物であるものと理解することもできない。
 したがって、当業者は、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することはない。
 (4)以上のとおり、分割出願が有効であり、出願日が原出願日・・・となると考えたとしても、本件発明に係る特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するということができないから、本件発明に係る特許は、無効審判請求により無効とされるべきものである・・・。
 そして、このことは、分割出願が無効であり、出願日が分割出願の日・・・となる場合でも同様である。

 侵害訴訟での限定解釈を防ぐために、明細書の課題や効果の記載は簡潔に書いた方が良い(たとえば、本件のように「有用な・・・を提供する」といったものとした方が良い)ということが多く言われている。
 なるほど、文言解釈との関係では、課題等の記載を参酌され、クレームが特定の課題を解決できるようなものに限定解釈される可能性があり、その意味では明細書の課題や効果の記載を簡潔に書くメリットはあると思われる。また、進歩性との関係でも、一昔前であれば、進歩性判断が厳しかったために、ある程度従来技術や課題・効果を記載して差別化を図らなければ権利化が難しかった事情があったが、現在では進歩性のハードルも下がり、特にそのような必要も薄れた。
 しかし、サポート要件との関係では、本件のように、いかなる意味において有用か分からない、課題が把握できない、といったリスクもあるのであり、一概に、明細書の課題や効果の記載を簡潔に書くのが良いとは言い切れない。(もちろん、それらを出願段階でしっかりと記載しても、分割出願を繰り返す中で、結果的に、課題や効果が書いていない権利が取れてしまうということは有り得るから、詳しく書けば安全という話でもない。)
 そのほかの点として、分割出願における特許請求の範囲は少なくとも原出願の出願当初の明細書等に記載された事項の範囲内である必要があるにも関わらず、別件侵害訴訟判決が、「分割出願が適法であるか否かにかかわらず」サポート要件違反があるとして、分割要件違反ではなくサポート要件違反と判断した点も興味深い。分割要件やサポート要件等については次の論稿で取り上げたいと考えている。
 
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文責: 鈴木 佑一郎 弁護士・弁理士・カリフォルニア州弁護士