令和3年3月31日号

特許ニュース

パロノセトロン液状医薬製剤特許のサポート要件違反との審決の判断に誤りはないと判断された事例

 医薬製剤発明に対し、構成要件である「少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有する」が具体的な裏付けをもって記載されているとは言えず、サポート要件違反であるとの審決の判断に誤りはないとして、審決取消請求を棄却した(知財高裁令和2年12月15日判決(令和元年(行ケ)第10136号))。

事案の概要

  1. 原告(ヘルシン ヘルスケア ソシエテ アノニム)は、審査過程で新規性及び進歩性違反の拒絶理由通知を受け、有効成分であるパロノセトロンの濃度の特定及び「少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有する」(以下「24ケ月要件」ということがある。)との追加を特許請求の範囲に行い、本件特許の設定登録を受けた(特許第5551658号、発明の名称「パロノセトロン液状医薬製剤」)。
  2. 被告(ニプロ株式会社)は、平成28年10月27日、本件特許に対し特許無効審判(無効2016-800125号)を請求し、パロノセトロン溶液発明(請求項1~16)に対し新規性及び進歩性違反を、保存方法発明(請求項17)に対しサポート要件違反を主張した。原告は、審決の予告でサポート要件違反と判断された請求項17の削除を含む訂正請求(以下「本件訂正」という。)を行い、合議体は、本件訂正を認めたうえで、特許無効審判請求は成り立たないとの審決をし、同審決はその後確定した。
  3. 被告は、平成30年3月6日、本件特許に対し新たな特許無効審判を請求した(無効2018-800028号、以下「本件無効審判」という。)。合議体は、サポート要件違反及び実施可能要件違反により特許を無効にする旨の審決(以下「本件審決」という。)をした。
  4. 原告は、本件審決の取り消しを求め、本件訴訟を提起した。


本件訂正後の請求項1
a)0.01~0.2mg/mlのパロノセトロン又はその薬学的に許容される塩;及び
b)薬学的に許容される担体
を含む、嘔吐を抑制又は減少させるための、少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有する溶液であって、
当該薬学的に許容される担体はマンニトールを含む、前記溶液。(以下「本件訂正発明1」という。下線は加筆。)

本件訂正で削除された請求項17
パロノセトロン又はその薬学的に許容される塩の溶液を含む1以上の容器の保存方法であって、
a)当該1以上の容器を含む部屋を提供すること;
b)当該部屋の温度を10℃より高い温度に調整又は維持すること;
c)当該容器を当該部屋で1月以上保存すること
を含み、
ここで、(i)前記パロノセトロン又はその薬学的塩が0.01mg/ml~0.2mg/mlの濃度で注射製剤中に存在し、(ii)当該溶液のpHが4.0〜6.0であり、(iii)当該溶液が0.005~1.0mg/mlのEDTAを含み、(iv)当該溶液がマンニトールを含み、そして(v)当該溶液が10~100ミリモルのクエン酸緩衝液を含む、前記パロノセトロン又はその薬学的に許容される塩の溶液が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することを特徴とする、前記方法。(下線は加筆。)

本判決

 知財高裁は、本件審決の取消を求める原告の請求を棄却した(令和2年12月15日)。
 本件訴訟の争点は、取消事由1(サポート要件充足性に関する判断の誤り)および取消事由2(実施可能要件充足性に関する判断の誤り)であったが、裁判所は、取消事由1(サポート要件充足性に関する判断の誤り)についてのみ判断した。

 まず、裁判所は、以下を認定した。

  • 明細書には、本件発明の課題は、医薬安定性が向上し、長期間の保存を可能にするパロノセトロン製剤とその製剤を安定化する許容される濃度範囲を提供することである旨記載されているが、請求項に24ケ月要件が追加されたので、「長期間」は24ケ月以上を意味することになったこと、
  • 明細書には、パロノセトロンを用いる効果的かつ多用途の製剤は、室温で24ケ月を超える期間、保存安定的であり、従って冷蔵することなく保存できる旨が記載されているが、当該製剤ないし容器を24ケ月以上保存できることをいかなる方法で確認したか等の具体的な記載はないこと、及び
  • 実施例4及び5の医薬製剤の成分が、それぞれ、本件訂正発明2(訂正発明1の従属発明)及び本件訂正発明1が特定する範囲に含まれること

 そのうえで、以下の判断を示した。
  • 本件明細書においては、パロノセトロン又はその塩を含む溶液は、pH及び/又は賦形剤濃度の調整並びにマンニトール及びキレート剤の適切な濃度での添加によって、安定性が向上することが記載され、実施例1~3において、製剤が最も安定するpHの値、クエン酸緩衝液及びEDTAの好適な濃度範囲、マンニトールの最適レベルが示され、実施例4、5に代表的な医薬製剤が示されているが、実施例4、5においては、実際に安定性試験が行われていないため、少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえない。その他の箇所をみても、安定化に資する要素は挙げられてはいるものの、それらが24ケ月の貯蔵安定性を実現するものであることについての直接的な言及はないし、どのような要素があればどの程度の貯蔵安定性を実現することができるのかを推論する根拠となるような具体的な指摘もなく、結局、具体的な裏付けをもって、具体的な医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえない。
  • 本件明細書には、24ケ月要件を備えたパロノセトロン製剤が記載されているとはいえないし、本件出願時の技術常識に照らしても、当業者が、本件各発明につき、医薬安定性が向上し、24ケ月以上の保存を可能にするパロノセトロン製剤とその製剤を安定化する許容される濃度範囲を提供するという本件各発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとはいえない。
  • サポート要件適合性は、明細書に記載された事項と出願時の技術常識に基づいて認定されるべきであるから、本件明細書と技術常識によっては24ケ月要件を備えた製剤が記載されていると認識することができないにもかかわらず、本件出願後に実験データを提出して明細書の不備を補うことは許されない。

検討

 1件目の無効審判において、被告は、保存方法の発明(請求項17)に対してのみサポート要件違反を主張した。そして、合議体は、少なくとも24ケ⽉の貯蔵安定性を有し、課題を解決できるものであると、当業者が認識できるとはいえず、サポート要件を満たさないとの判断を審決の予告で示した。本件訂正により請求項17が削除され、無効審判請求は棄却されたが、被告は、本件無効審判を請求し、24ケ月要件を有する本件訂正後の全請求項に対し、サポート要件違反を主張し、その主張が認められたのである。

 24ケ月要件は、新規性及び進歩性違反の拒絶理由を解消するために加えられた。原告は、24ケ月要件を追加する補正に際し、明細書中、発明の要約として、製剤が「24ケ月を越える期間、保存安定的であり」と記載されている箇所を示し、補正は認められ、特許された。

 しかし、本判決は、24ケ月要件という数値限定の効果を構成要件とした本発明の課題を24ケ月以上の保存安定性であると認定し、サポート要件について、明細書に当該数値限定の効果が文言として記載されている(いわゆる一行記載)だけでは足りず、24ケ月以上の保存安定性という課題を解決できるであろうとの合理的な期待が得られる記載(つまり、具体的な裏付け)が必要であることを判示した。
 数値限定に技術的特徴がある構成要件を含む製剤発明のサポート要件を判断したセレコキシブ組成物事件でも、明細書に当該数値の記載(いわゆる一行記載)があるものの、数値範囲全体にわたり、課題である生物学的利用能が改善されると認識することはできず、サポート要件違反と判断されている(注1)。
 本判決及びセレコキシブ組成物事件では、偏光フィルム大合議事件において、いわゆるパラメータ発明について示されたサポート要件充足性の規範(注2)と同程度の記載を要求しているように思われるので、数値限定に技術的特徴がある製剤発明の明細書には、一行記載だけでなく、当該数値限定について具体的な裏付けを記載しておく必要があろう。
 原告が、サポート要件が充足されているとの主張の拠り所として挙げた下記サポート要件充足性の判断手法は、知財高判令和2年7月2日(平成30年(行ケ)第10158号、第10113号、ボロン酸化合物製剤事件)で判示されたものと同一である。
「サポート要件を充足するには、明細書に接した当業者が、特許請求された発明が明細書に記載されていると合理的に認識できれば足り、また、課題の解決についても、当業者において、技術常識も踏まえて課題が解決できるであろうとの合理的な期待が得られる程度の記載があれば足りるのであって、厳密な科学的な証明に達する程度の記載までは不要であると解される。」(下線は加筆。)
 しかし、本判決は、本件明細書が24ケ月要件に即した具体的な記載を欠く以上、課題(24ケ月以上の保存安定性)が解決できるであろうとの合理的な期待が得られる程度の記載があるとは認められないと原告の主張を退けた。

 また、本判決は、実験データの後出しで、明細書の不備を補うことが許されないことも判示しており、これは、前掲偏光フィルム大合議事件において、いわゆるパラメータ発明について、特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することよって、明細書のサポート要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないと判示されたのと同様である。

 本件のように、新規性及び/又は進歩性の拒絶理由が出されたことにより、請求項に構成要件の追加を検討することは、しばしばある。数値限定を含む構成要件を追加する際には、明細書中に当該構成要件が文言として記載されているだけでなく、当該数値範囲で課題を解決できることが認識できる程度に具体例又は説明が明細書中にあることを確認することが重要である。
 原告は、当初クレームのサポート要件は明細書記載の実施例で充足できると考え、24ケ月要件を裏付ける実験結果を本件優先日前に得ていたにもかかわらず、これを本件明細書に記載しなかったこと、原告がその存在を認識していなかった文献が引用され、これらの引用文献の組合せに対して進歩性を主張するために、24ケ月要件を追加することを余儀なくされたことを述べている。このような場合でも、実験データの後出しでサポート要件を充足させることは認められない。審査過程で、存在を認識していなかった文献が引用されることはあり得るので、発明特定事項として追加可能な選択肢を増やしておく観点からも、実施例を充実させておくことが望ましい。

注1:セレコキシブ組成物事件(知財高判令和元年11月14日、平成30年(行ケ)第10110号、第10112号、第10155号、)では、「セレコキシブ粒子のD90が200μm未満である粒子サイズの分布を有する」との要件について、明細書中に、「セレコキシブのD90粒子サイズが約200μm以下」とした場合には、セレコキシブの生物学的利用能が改善される旨の記載はあるものの、「セレコキシブのD90粒子サイズが約200μm以下」の構成とすることにより、セレコキシブの生物学的利用能が改善されることを直ちに理解することはできず、本件明細書の記載を全体としてみても、粒子の最大長におけるセレコキシブ粒子の「D90」の値を用いて粒子サイズの分布を規定することの技術的意義や「D90」の値と生物学的利用能との関係について具体的に説明した記載はないことなどから、「セレコキシブのD90粒子サイズが約200μm以下」とした場合には、その数値範囲全体にわたり、セレコキシブの生物学的利用能が改善されると認識することはできず、サポート要件違反と判断された。

注2:偏光フィルム大合議事件(知財高裁特別部判平成17年11月11日、平成17年(行ケ)10042号)では、いわゆるパラメータ発明について、「明細書のサポート要件に適合するためには、発明の詳細な説明は、その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的意味が、特許出願時において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか、又は、特許出願時の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要する。」と判示された。

本判決の全文はこちら(外部ウェブサイト)

文責: 矢野 恵美子(弁理士)