令和2年9月3日号

特許ニュース

審決取消訴訟において、審判段階の手続違背を理由として審決を取り消した裁判例

 知財高裁は、発明の名称を「マッサージ機」とする特許(特許第5009445号)について提起された無効審判(無効2018-800041号)の審決取消訴訟において、審決が明確性要件についての判断を遺脱しているとし、この点の審理判断を尽くさせるため、本件審決は取り消されるべきであるとして、手続違背を理由に審決を取り消した。(知財高裁令和2年1月21日判決〔平成31年(行ケ)第10042号〕)。

事実関係

 本件特許は、特願2002-118191(親出願)の分割出願である特願2007-163906(分割第1世代)の分割出願である特願2008-61992(分割第2世代)の分割出願である特願2009-275966(分割第3世代)の分割出願として出願され(特願2012-61490:分割第4世代)、当該分割出願後の自発補正によってほぼ全面的に特許請求の範囲が補正された(下記構成F、GおよびH等に係る構成要件もこの際に規定された)。その後審査を経て、請求項1については補正されることなく、特許査定(特許第5009445号、請求項の数は6)となった。
 本件特許権の特許請求の範囲の請求項1に記載の発明(「本件特許発明1」)は次のとおりである。

本件特許発明1
  • A 被施療者が着座可能な座部と、
  • B 被施療者の上半身を支持する背凭れ部と
  • C を備える椅子型のマッサージ機において、
  • D 前記座部の両側に夫々配設され、被施療者の腕部を部分的に覆って保持する一対の保持部と、
  • E 前記保持部の内面に設けられる膨張及び収縮可能な空気袋と、を有し、
  • F 前記保持部は、その幅方向に切断して見た断面において被施療者の腕を挿入する開口が形成されていると共に、その内面に互いに対向する部分を有し、
  • G 前記空気袋は、前記内面の互いに対向する部分のうち少なくとも一方の部分に設けられ、
  • H 前記一対の保持部は、各々の前記開口が横を向き、且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている
  • I ことを特徴とするマッサージ機。

 本件とは別に、当事者間には特許権侵害訴訟も係属していたところ、当該訴訟の充足論において特許権者(本事件における被告)は、本件特許発明1に係る構成Fの「開口」には「掌部分や手首部分に内壁が存在する保持部も含む」と主張した。
 そこで、原告(無効審判請求人)は、仮に「開口」が特許権者の上記主張のように解釈されるとすれば、それは、構成Fについて新規事項追加による補正要件違反および分割要件違反、サポート要件違反、並びに明確性要件違反を構成するものであると主張し、無効審判を請求した。なお、無効審判においてはこれらの無効理由に加え、構成Gおよび従属項の記載要件違反に基づく無効理由、並びに進歩性欠如による無効理由も主張されていた。
 特許庁は、特許を有効とする審決をしたが、当該審決において、たとえば構成H「前記一対の保持部は、各々の前記開口が横を向き、且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている」については上記無効理由に関する判断内容が記載されていたものの、構成Fの「その幅方向に切断して見た断面において被施療者の腕を挿入する開口」との関係では上記無効理由に関する判断内容が明示的には記載されていなかった。
 そこで原告(無効審判請求人)は、構成Fに関する補正要件違反、分割要件違反に起因する新規性・進歩性欠如、サポート要件違反、および明確性要件違反について、審決には審理不尽ないし判断逸脱があるなどとし〔取消理由1〕、また、審決における、補正要件に係る判断の誤り〔取消理由2〕、サポート要件に係る判断の誤り〔取消理由3〕、構成Gおよび従属項についての明確性要件に係る判断の誤り〔取消理由4〕、引用発明に基づく進歩性の判断の誤り〔取消理由5〕、並びに分割要件に係る判断の誤り〔取消理由6〕を主張し、本件訴訟を提起した。

本判決

 本判決は、取消理由1のうち、明確性要件に関する判断遺脱について、以下のとおり述べ、手続的違法を認定した。
 「本件審決は、明確性要件の判断において、構成要件G及びLについて判断したのみで、構成要件Fについては『請求人の主張の概要』にも『当合議体の判断』にも記載がなく、実質的に判断されたと評価することもできない。したがって、本件審決には、手続的な違法があり、これが審決の結論に影響を及ぼす違法であるということができる。
 そして、本判決は、上記に基づき、この点の審理判断を尽くさせるため、本件審決は取り消されるべきであると判決した。

他方、取消理由1のうち、補正要件違反、分割要件違反およびサポート要件に関する判断逸脱について、本判決は以下のとおり述べ、手続的違法を認めなかった。
・補正要件違反
 「本件審決には、補正要件違反等の原告の主張する無効理由との関係で、構成要件Fについての明示的な記載はない。しかし、補正要件の適否は、当該補正に係る全ての補正事項について全体として判断されるべきものであり、事項Fの一部の追加が新規事項に当たるという主張は、本件補正に係る補正要件違反という無効理由を基礎付ける攻撃防御方法の一部にすぎず、これと独立した別個の無効理由であるとまではいえない。その判断を欠いたとしても、直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。
また、構成要件Fで規定する「開口」は、構成要件H(「前記一対の保持部は、各々の前記開口が横を向き、且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている」)の前提となる構成であって、事項Hの追加が新規事項の追加に当たらないとした本件審決においても、実質的に判断されているということができる。 そして、後記のとおり、当初明細書の【0037】、【0038】、【図2】には、断面視において略C字状の略半円筒形状をなす「保持部」が記載され、「開口部」とは、「保持部」における「長手方向へ延びた欠落部分」を指し、一般的な体格の成人の腕部の太さよりも若干大きい幅とされ、そこから保持部内に腕部を挿入可能であることが記載されているから、構成要件Fで規定する「開口」が、当初明細書に記載されていた事項であることは明らかである。」

・分割要件違反
「また、新規事項の追加があることを前提とした分割要件違反に起因する新規性・進歩性欠如をいう原告の主張も、同様である」

・サポート要件
「サポート要件についても、本件審決には、構成要件Fについての明示的な記載はない。しかし、サポート要件の適合性は・・・上記・・・同様、事項Fの一部についての判断を欠いたとしても、直ちに当該無効理由について判断の遺脱があったということはできない。
また、構成要件Fで規定する「開口」は、上記・・・のとおり、構成要件Hの前提となる構成であり、本件審決においても実質的に判断されているということができる。
そして、後記のとおり、本件発明1は、本件明細書の【0010】に記載された構成を全て備えており、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであり、加えて、本件明細書にも前記【0037】、【0038】、【図2】と同様の記載があることからすれば、構成要件Fで規定する「開口」が本件明細書の当該記載によってサポートされていることも明らかである。」

 本判決は、「他の無効理由については当事者双方が主張立証を尽くしているので、以下、当裁判所の判断を示すこととする」として、上記に加え、補正要件に係る判断の誤り〔取消理由2〕、サポート要件に係る判断の誤り〔取消理由3〕、引用発明に基づく進歩性の判断の誤り〔取消理由5〕、および分割要件に係る判断の誤り〔取消理由6〕についても判断し、いずれも取消理由には理由がないと判断した。
 他方、本判決は明確性要件に係る審決の判断の誤り〔取消理由4〕については特に理由を述べることなく判断しなかった。

検討

 取り消された審決には、構成Fについて「明確性要件違反」のみならず「補正要件違反」「分割要件違反」「サポート要件違反」のいずれについても明示的な判断が記載されていなかったが、本判決は「明確性要件違反」についてのみ判断逸脱の手続的違法を認め、「補正要件違反」「分割要件違反」「サポート要件違反」は補正事項全体で判断されるべきものである上、実質的に審理判断されていたと述べ判断逸脱による手続的違法を認めなかった。
 本判決は明確性要件とそれ以外の要件の差異について上記以上の説明をしていないが、基本的に明確性要件違反はそのクレームのその文言の明確性を検討するものであるのに対し、その他の要件は(当初)明細書にそのような「技術的事項」が記載されていると言えるのかどうかを実質的に検討するものであるという点が異なっており、このような点が上記判断を分けたポイントと言えるだろう。
 本件では、構成Hでは「・・・前記開口が横を向き、且つ前記開口同士が互いに対向するように配設されている」との構成が規定されており、審決も構成Hについては、そのような技術的事項が(当初)明細書に記載されていたと言えるかについて判断していた。
 したがって、判決の言うように、構成Hの「前記開口」、つまり、構成Fの「開口」に関する「補正要件違反」「分割要件違反」「サポート要件違反」は、審決の構成Hの判断の箇所で実質的に判断されていたと言い得る。

 本判決は、取消理由1に続き、「他の無効理由については当事者双方が主張立証を尽くしているので、以下、当裁判所の判断を示すこととする」と述べて、その他の取消理由(ただし取消理由4を除く)についても判断している。
 この点、審決を取り消すだけであれば、構成Fの明確性要件違反の手続違反のみを判断し、それ以外の取消理由に踏み込まないという選択肢もあったはずである。もっとも、知財高裁第1部(髙部裁判長)は、その他の取消理由についてもこのタイミングで裁判所の判断を示し拘束力を付与することが紛争の一回的解決の要請に適うと考えたものと思われ、かかる判断は正当である。

 ところで、本判決は、構成Gおよび従属項の明確性要件に係る審決の判断誤り〔取消理由4〕については判断をしなかった。本判決はその理由を述べていないが、審決が構成Fの明確性要件違反について判断しなかったことにより、本訴訟において当事者双方が明確性要件違反についての主張立証を尽くせていないと考えたのではないか、とも思われる。
 もっとも、原告は、構成F以外の明確性要件違反(すなわち、上記のとおり構成Gおよび従属項の明確性要件違反)についての審決の判断誤りを取消理由4としていた。より詳細に言えば、原告は、取消理由4において、請求項1との関係では、「構成Gのうち『前記内面の互いに対向する部分』は、左右どちらか一方の保持部における内面の一部分と、左右一対の保持部において対向する左右それぞれの保持部の内面同士の部分の、いずれを特定しているのか、明らかではない」と主張し、その他、従属項における「保持可能」という文言の明確性要件違反を主張していた。これらはいずれも、技術的に構成Fの「開口」とは独立して明確性を判断することが可能な構成であったと言い得る。
 そうであるならば、紛争の一回的解決を重視する裁判体であるにもかかわらず、敢えて取消理由4を判断しなかったのは、構成Fの明確性要件違反についての審理を特許庁に差し戻したことに起因すると考えられるだろう。参考までに、髙部裁判長の過去の判決(たとえば、知財高判平成27年10月29日〔平成26年(行ケ)10195〕[無線発振装置およびレーダー装置事件判決])を参照すれば、髙部裁判長は、明確性要件違反に係る取消訴訟の審理範囲を広く解釈しており、拘束力の範囲も広く「明確性要件違反」について及ぶ(つまり、取消訴訟で判断された具体的な構成や具体的な理由付けに限定されない)と考えていると思われる。そのような拘束力に関する自説との整合性を重視した結果、同じ「明確性要件違反」の一部につき判断しながら一部を差し戻すことを嫌い、取消理由4をスキップしたと考えられる。

 手続違背を理由として審決を取り消した判決は珍しいため紹介した次第である。

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文責: 鈴木 佑一郎 (弁護士・弁理士)