平成30年7月4日号

特許ニュース

知財高裁大合議、進歩性判断における引用発明の認定について判断基準を提示

化合物が一般式の形式で記載され、当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り、当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず、これを引用発明と認定することはできない(知財高裁特別部平成30年4月13日判決(平成28年(行ケ)第10182号、第10184号))。

事実関係

原告が、本件特許(特許第2648897号)に対し、進歩性欠如及びサポート要件違反を理由に請求した特許無効審判(無効2015-800095号事件)において、請求不成立の審決がなされた。

本件は、特許無効審判請求を不成立とする審決の取消訴訟である。

争点は、訴えの利益の有無、進歩性の有無及びサポート要件違反の有無であり、進歩性については、甲1発明に甲2発明を組み合わせることにより、本件発明に係る構成を容易に想到することができる旨主張された。

本判決

知財高裁特別部は、平成30年4月13日、原告の請求を棄却する判決を下した。

1)進歩性の判断については、まず、以下の一般論を示した。

「進歩性の判断に際し,本願発明と対比すべき同条1項各号所定の発明(以下『主引用発明』といい,後記『副引用発明』と併せて『引用発明』という。)は,通常,本願発明と技術分野が関連し,当該技術分野における当業者が検討対象とする範囲内のものから選択されるところ,同条1項3号の『刊行物に記載された発明』については,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。」

「引用発明として主張された発明が『刊行物に記載された発明』であって,当該刊行物に化合物が一般式の形式で記載され,当該一般式が膨大な数の選択肢を有する場合には,特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情がない限り,当該特定の選択肢に係る具体的な技術的思想を抽出することはできず,これを引用発明と認定することはできないと認めるのが相当である。」

「この理は,本願発明と主引用発明との間の相違点に対応する他の同条1項3号所定の『刊行物に記載された発明』(以下『副引用発明』という。)があり,主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合において,刊行物から副引用発明を認定するときも,同様である。」

「主引用発明に副引用発明を適用することにより本願発明を容易に発明をすることができたかどうかを判断する場合には,①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに,②適用を阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断することとなる。」


2)そして、本件について、以下のように判断した。

本件発明と主引用発明である甲1発明との相違点(1-i)は、Xが,本件発明1では,アルキルスルホニル基により置換されたイミノ基(以下「-N(CH)(SOR')」)であるのに対し,甲1発明では,メチル基により置換されたイミノ基である点であり、甲2からは、以下の理由により、Xを「-N(CH)(SOR')」とするという技術的思想を抽出し得ず、相違点(1-i)に係る構成が記載されているとはいえない。

・ 甲2には、一般式で示される化合物のうちの「殊に好ましい化合物」の置換基Rの選択肢として「-NR」が、R及びRの選択肢として「メチル基」及び「アルキルスルホニル基」が記載されており、2000万通り以上の選択肢のうちの一つとして「-N(CH)(SOR')」が記載されている。
・ 甲2には、「殊に極めて好ましい化合物」が記載されているが、Rの選択肢として「-NR」は記載されていない。
・ 甲2には、甲2の一般式のXとAが甲1発明と同じ構造を有する化合物の実施例として,実施例8(Rはメチル),実施例15(Rはフェニル)及び実施例23(Rはフェニル)が記載されているところ,Rとして「-NR」を選択したものは記載されていない。


3)また、訴えの利益について、以下の判断を示した。
何人も無効審判を請求可能であった平成26年法律第36号による改正前の特許法の下においては、
「特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は,特許権消滅後であっても,特許権の存続期間中にされた行為について,何人に対しても,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り,失われることはない。」

そして、特許無効審判請求が、私的な利害関係を有する者のみに限定された平成26年法律第36号による改正後の特許法の下においては、
「訴えの利益が消滅したというためには,客観的に見て,原告に対し特許権侵害を問題にされる可能性が全くなくなったと認められることが必要であり,特許権の存続期間が満了し,かつ,特許権の存続期間中にされた行為について,原告に対し,損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり,刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存することが必要であると解すべきである。」
との判断を示した。

検討

1)審決では、
甲第2号証に記載される一般式の「R」として,きわめて多数の選択肢の中から可能性として考え得る置換基というだけの「-N(CH)(SOCH)」を選択した化合物が,そもそも技術的な裏付けをもって記載されているともいえず,この記載に基づいて,甲1発明の「ジメチルアミノ基」を,「-N(CH)(SOCH)」に置き換える動機付けがあるとはいえない。
と認定し、進歩性は否定されないと判断した。

「特許・実用新案審査基準」には、引用発明の認定について、以下のように記載されている。
・ 「刊行物に記載された発明」とは、刊行物に記載されている事項及び刊行物に記載されているに等しい事項から把握される発明をいう。審査官は、これらの事項から把握される発明を、刊行物に記載された発明として認定する。刊行物に記載されているに等しい事項とは、刊行物に記載されている事項から本願の出願時における技術常識を参酌することにより当業者が導き出せる事項をいう。
・ 審査官は、刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から当業者が把握することができない発明を「引用発明」とすることができない。そのような発明は、「刊行物に記載された発明」とはいえないからである。

また、先行技術を示す証拠が上位概念(注1)で発明を表現している場合について、以下の記載がある。
・ この場合は、下位概念で表現された発明が示されていることにならないから、審査官は、下位概念で表現された発明を引用発明として認定しない。ただし、技術常識を参酌することにより、下位概念で表現された発明が導き出される場合には(注2)、審査官は、下位概念で表現された発明を引用発明として認定することができる。
 (注1) 「上位概念」とは、同族的若しくは同類的事項を集めて総括した概念又はある共通する性質に基づいて複数の事項を総括した概念をいう。
 (注2) 概念上、下位概念が上位概念に含まれる、又は上位概念の用語から下位概念の用語を列挙することができることのみでは、下位概念で表現された発明が導き出される(記載されている)とはしない。
(「第3 節 新規性・進歩性の審査の進め方」「3. 引用発明の認定」「3.1.1 頒布された刊行物に記載された発明(第 29 条第 1 項第 3 号)」)

そして、「特許・実用新案審査ハンドブック」には、以下のように記載されている。
・ ある「刊行物に記載されている事項」がマーカッシュ形式で記載されているものである場合は、審査官は、当該選択肢中のいずれか一のみを発明特定事項とした発明を当業者が把握することができるか否かについて、検討する必要がある。
(「第III部 特許要件」「3205 引用発明の認定において、刊行物に記載されている事項がマーカッシュ形式で記載されているものである場合の留意事項」)

したがって、特許庁の審査や審判においても、甲第2号証は副引用発明として認定しないとの判断もあり得た。

具体的な技術的思想を抽出することはできず,これを引用発明と認定することはできないとした判決と、置き換える動機づけがないとした審決の違いはあるが、いずれにしても、きわめて多数の選択肢の中から、特定の選択肢を選択する場合、積極的あるいは優先的に選択すべき事情が必要であり、これがない限り、主引用発明と組み合わせて進歩性を否定できないとの結論に変わりはない。


2)また、裁判所が、主引用発明に副引用発明を適用することにより容易に発明をすることができたかどうかを判断する手法に言及している。すなわち、
 ①主引用発明又は副引用発明の内容中の示唆,技術分野の関連性,課題や作用・機能の共通性等を総合的に考慮して,主引用発明に副引用発明を適用して本願発明に至る動機付けがあるかどうかを判断するとともに,
 ②適用を阻害する要因の有無,予測できない顕著な効果の有無等を併せ考慮して判断する。

裁判所が示した考慮要素は、「特許・実用新案審査基準」に示された進歩性の判断と同じであり、審査基準に示した考慮要素が追認された位置づけになると思われる。

(「特許・実用新案審査基準 第 III 部 第 2 章 第 2 節 進歩性」3頁)


3)訴えの利益について、過去に東京高裁で示された判断(東京高判平成14年3月5日(平成11年(行ケ)第25号))に比べると、傍論ではあるが、今回示された平成26年法律第36号による改正後の特許法の下での判断は、ずいぶん幅広く訴えの利益を認めている。
前掲東京高判平成14年3月5日では、本件特許を無効にすることにつき審判を請求する法律上の利益は,本件特許権が放棄されたことにより,消滅し,これに伴い,原告らの請求人適格は消滅したと判断された。しかし、今後は、特許権の放棄後や、特許権の存続期間満了後でも、訴えの利益を認められる可能性があるため、注意が必要である。


(東京高判平成14年3月5日 判決抜粋)
「特許法123条には,特許の無効審判の請求人適格について,これを限定する文言はない。しかしながら,特許の無効審判は,いわゆる準司法的な争訟手続の性格を有する国家制度であるから,民事訴訟手続において原告に訴えの利益があることが必要であるのと同様に,請求人は審判請求について法律上正当な利益を有することが必要であり,単に,これを求める事実上の利益があるだけでは足りないというべきである。換言すれば,特許の無効審判の請求人適格があるというためには,無効審判請求の対象となる特許の存在により,請求人が法律上の不利益を受け,又は受けるおそれがあるため,特許無効の審判によって回復又は回避される法律上の利益があることを要するものというべきである。」

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文責: 矢野 恵美子(弁理士)