物品売買契約に基づいて製品を売主から購入した買主が、当該製品に関して特許権者に対して支払ったライセンス料につき、当該契約の知的財産権非侵害保証条項および知的財産権に関する紛争解決条項に基づく売主に対する損害賠償請求権の存在を主張した事案において、知財高裁は平成27年12月24日、売主に対する損害賠償請求権の存在を一部認める判決をした(知財高裁平成27年(ネ)第10069号)。
事実関係
兼松株式会社(原告・被控訴人)は、ソフトバンクBB株式会社(被告・控訴人)との間で、物品売買基本契約(基本契約)および個別契約を締結し、Ikanos Communications, Inc.(イカノス社)が製造するADSLモデム用チップセットおよびDSLAM用チップセット(本件チップセット)を被告に納入した。
他方、本件チップセットについては、ウィーラン・インコーポレイテッドより、同社の有する複数の特許権(本件各特許権)を侵害するものであるとの主張がなされた。原告は同社との間の紛争を解決することができなかったことから、被告は、同社およびその子会社(併せてWi-LAN社)との間でライセンス契約を締結し、Wi-LAN社に対して2億円を支払った。
被告は原告に対し、本件チップセットの売買代金の一部を支払わなかったため、原告は、残代金の支払いを求めて本件訴訟を東京地裁に提起した。
これに対し、被告は、原告が、基本契約中の下記の知的財産権非侵害保証条項(18条1項)および紛争解決条項(18条2項)に違反し、上記2億円のライセンス料に相当する損害を被ったとして、当該損害賠償債権を自働債権とする相殺を主張した。
18条1項: 原告は、被告に納入する物品並びにその製造方法及び使用方法が、第三者の工業所有権、著作権、その他の権利を侵害しないことを保証する。
18条2項: 原告は、物品に関し、第三者との間で知的財産権侵害を理由とする紛争が生じた場合、自己の費用と責任でこれを解決し、又は被告に協力し、被告に一切の迷惑をかけないものとする。被告に損害が生じた場合には、原告は、被告に対し、その損害を賠償する。
第一審判決は、18条1項違反の主張については、本件チップセットは本件各特許権に抵触せず、同条項の違反はなかったとした。
また、18条2項違反の主張については、原告が同条項に違反したことは認めたものの、同違反と被告が支払ったライセンス料相当額の損害との間に相当因果関係は認められないとして、結局、損害賠償請求権の存在を否定し、原告の請求を全面的に認容した。
被告は、第一審判決を不服として、知財高裁に控訴した。
本判決
(1)18条1項、同2項違反の有無
本判決は、18条1項違反の主張については、第一審と同様、本件チップセットは本件各特許権に抵触せず、同条項の違反はなかったとした。
他方、18条2項違反の主張については、本判決は、同条項は第三者が有する知的財産権の侵害が問題となった場合の、原告がとるべき包括的な義務を規定したものであり、原告が負う具体的な義務の内容は、当該第三者による侵害の主張の態様やその内容、被告との協議等の具体的事情により決まるものである、と判断した。
この点、被告は、原告が18条2項に基づき、第三者の特許を侵害しないこと(充足論・無効論)を明確にする義務や、実施許諾を得る等して第三者からの差止請求・損害賠償請求による被告の不利益を回避する義務を負っていたと主張したが、本判決は、18条2項の文言からはこのような具体的義務を原告が負っているとは読み取れないとして、被告の主張を排斥した。
本判決は、被告はWi-LAN社から特許権のライセンスの申出を受けたこと、被告は原告に対し協力を依頼した当初から、本件チップセットが本件各特許権に抵触するか否かの回答を求めていたこと、原告、被告およびイカノス社の間において、ライセンス料やその算定根拠等の検討が必要であることが確認され、イカノス社において必要な情報を提示する旨を回答していたこと、等の事情を認定した。
かかる事情に基づき、本判決は、原告が負うべき18条2項に基づく具体的な義務は、①被告がWi-LAN社との間でライセンス契約を締結することの要否を判断するため、本件各特許の技術分析を行い、本件各特許の有効性、本件チップセットが本件各特許権を侵害するか否か等についての見解を、裏付けとなる資料と共に提示する義務、および、②被告がWi-LAN社とライセンス契約を締結する場合に備えて、合理的なライセンス料を算定するために必要な資料等を収集・提供する義務である、と認定した。
その上で、本判決は、①技術分析の結果を提供すべき義務について、イカノス社において報告された技術分析の結果は十分なものではなく、原告も詳細な技術分析を行わなかったとして、原告は同義務を怠ったと認定した。
また、②ライセンス料の算定に関する資料を提供すべき義務についても、イカノス社および原告はかかる資料を被告に提供しなかったとして、原告は同義務に違反したと認定した。
(2)違反と損害との相当因果関係の有無、過失相殺
本判決は、進んで、18条2項違反と被告が支払ったライセンス料相当額の損害との間の相当因果関係を検討し、第一審判決とは異なり、相当因果関係の存在を認めた。
すなわち、本判決は、前述したようなイカノス社による技術分析への対応等に照らせば、被告が、本件チップセットは本件各特許権を侵害しまたは侵害する可能性が高いと考えたこともやむを得ないこと、原告またはイカノス社からライセンス料の算定に関する情報も提供されず、Wi-LAN社との間のライセンス交渉における減額交渉の材料がない状況の下で、Wi-LAN社からは、ライセンス条件が厳しくなる次のステージに移行する可能性を継続して告げられるなどしており、同社から差止請求訴訟を提起されて侵害が認定された場合に被告が被る損害は2億円をはるかに超えることが予想されたこと、等の事情が認められるとした。
その上で、本判決は、これらの事情を考慮すれば、被告がWi-LAN社とライセンス契約を締結し2億円を支払うことは社会通念上やむを得ないものであって不相当ではなく、原告による18条2項違反とライセンス料相当額の損害との間には相当因果関係があると結論付けた。
もっとも、本判決は、被告の過失を基礎づける事情として、被告は自ら本件チップセットの本件各特許の充足性を検討していないこと、直ちにWi-LAN社から訴訟提起がされる危険性があったとはいえないこと、被告はライセンス料の算定根拠をWi-LAN社に問い質すことなく、原告による静止も顧慮することなく2億円をWi-LAN社に支払ったこと等を認定した。
その上で、本判決は、2億円の損害に対する被告の過失割合を7割と認め、6000万円分の限度でのみ、被告による相殺の意思表示の効力を認めた。
検討
知的財産権が関わる物品の売買契約やライセンス契約では、しばしば、本判決で問題となった18条1項、同2項のような、知的財産権非侵害保証条項や知的財産権に関する紛争解決条項が見られるが、本判決は、かかる条項の解釈や事案への当てはめを真正面から扱ったものである。
本判決の争点は多岐にわたるが、その中で、まず、18条2項のような知的財産権に関する紛争解決条項に基づく売主の義務の内容は、知的財産権の侵害を主張する第三者による侵害の主張の態様やその内容、買主との協議等の具体的事情により定まると判示された点に着目したい。
すなわち、実務上、売買契約やライセンス契約で見受けられる知的財産権に関する紛争解決条項は、本判決で問題となった18条2項のような程度であることもよく見られる。しかし、本判決によれば、買主やライセンシーの立場からすれば、そのような程度の紛争解決条項のみを拠りどころとして、売主やライセンサーに具体的な紛争解決義務を負わせられないことになる。そうすると、個々の案件においては、売主やライセンシーに具体的な紛争解決義務を負わせるために、少なくとも、第三者から権利侵害の主張があり次第直ちに売主やライセンサーを巻き込み、可能な限り、売主やライセンサーにて紛争解決に必要な作業(例えば、特許侵害の判断や、合理的なライセンス料の額の判断に必要な情報提供)を行うことを約束させることが肝要と思われる。
また、本判決では、買主から売主に対するライセンス料相当額の損害賠償請求権は、過失相殺により、その一部が認められたに止まった点にも着目したい。
本件においても問題とされたが、実務的には、特許権を行使する第三者からのプレッシャーにより、特許侵害の有無等を詳細に検討する前にライセンス契約を当該第三者と締結しライセンス料を早々に支払うことで、紛争を終了させるケースは少なくはない。その上、第三者から権利行使された特許の内容や件数によっては、特許侵害の有無の検討に要する労力や費用(弁護士・弁理士費用)が膨大となることもあるため、特許侵害の検討もそこそこにライセンス契約を第三者と締結することは、やむを得ない場合がある。しなしながら、本判決の内容に従えば、このような場合には過失相殺が認められる可能性があることから、ライセンス料相当額全額を売主やライセンサーから取り戻すことは決して容易ではないと考えておいた方がよいと思われる。
本判決の全文はこちら(外部ウェブサイト)
(参考:第一審判決の全文はこちら(外部ウェブサイト))
(文責:今井 優仁(弁護士・弁理士))